本を買うときにカバーをつけてもらうのが好きだ。厳密に言うと「好きだった」。シャっとハサミで斜めに切り込みを入れ角を折り込むやり方をしている本屋があった。岩波書店の「世界」のような雑誌にも同じようにカバーを掛けてくれた。言うまでもなくこの本屋は今はない。こんな技術をを持っている人にはもうお目にかからない。自分では本を買わないのではないかと思うようなアルバイトの方が雑にカバーをかけるのを見ていると何だか悲しい気持ちになる。
今もカバーを掛けてある本がたくさんあって、し
かも読んでいない本が並んでいる。新潮社の宣伝も兼ねたカバーは昔よく見かけた。例のごとく朝出かけるときにそれを鞄に放り込んだ。
駅のホームについて取り出すと「下北沢南口 第一書房」と印刷されているのが目に付いた。まったく記憶がない本屋だ。下北沢というと演劇でも見に行ったときにふらりと入ったのかもしれない。本の奥付を見ると昭和五七年六月一〇日第一六刷発行とあるのでそれ以降のことだ。学生の頃だろう。定価=420円とだけ書かれている。消費税がなかった頃だ。気になったので帰宅してから調べるとどうやらもう存在していないようだ。余計に気になるがもうどうしようもない。
世にはいろんな方がいるもので検索していたら「書皮ギャラリー」という「書皮(書店ブックカバー・包装紙)の画像を分類展示してい」るサイトにぶつかった。この新潮文庫のカバーのデザインはアンリ・マティスの 版画集『ジャズ』だと書かれていた。これは知らなかった。どうやらNo.9「 フォルム」という作品の一部のようだ。カバーだと横長だと思ってしまうが、作品は縦長でしかも色を反転したものが二つ並んでいる。うーん、こんな有名な芸術家の作品を横長に使ってしまうのは勇気が要ると思うがどうだろう。
さて中身は『「明治維新」の哲学』という新書だ。カバーを掛けてあったがかなり変色してしまってい
る。著者の市井三郎氏は理学部を卒業後に哲学に転身したという経歴を持つ。
明治維新の約1世紀前、人には身分の区別はないと唱えた山県大弐は1764年の明和事件で処刑されるが、その著書『柳子新論』は幕末に吉田松陰らに影響を与える。その流れと、19世紀の内外の大きなうねりと多くの人々の動きが語られるが、単に歴史上の出来事を解説したものではない。
第1章で、「おのおのの人間が、自分の責任を問われる必要のない事柄から、さまざまな苦痛を受ける度合いを減らさなければならない、という原則」において西欧の市民革命は以前よりは「一歩前進した」のが歴史の進歩と述べ、最後の第10章では「『みずからが責任を負う苦痛』の増えることまでを避けようとする態度がひろがるときには、ただよえる大衆社会が――西欧近代が指向した制度的目標が成就されて、しかも歴史の進歩という観念が茶番となるような状態――が出現せざるをえない」としている。さらに「人間の歴史は、どれほど多くの人間の内奥に、その自立性を呼び醒ましえたかによって、歴史の高さ――ほとんど進歩と同じもの――が測られると考えます。日本の『御一新』の変革は、その意味での歴史の高揚を示した一時期でした。」と綴っている。』今の日本を見ても考えさせられる。
中学や高校の限られた授業時間で、幕末から明治前半までの動きをたどるのは容易なことではないだろう。だが一方で、歴史を年表の暗記くらいにしか考えない中高生を量産するような授業はしてほしくないとも思う。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『「明治維新」の哲学』 市井三郎著 講談社現代新書121
昭和四二年七月二〇日第一刷発行 昭和五七年六月一〇日第一六刷発行 定価=420円
今もカバーを掛けてある本がたくさんあって、し
かも読んでいない本が並んでいる。新潮社の宣伝も兼ねたカバーは昔よく見かけた。例のごとく朝出かけるときにそれを鞄に放り込んだ。駅のホームについて取り出すと「下北沢南口 第一書房」と印刷されているのが目に付いた。まったく記憶がない本屋だ。下北沢というと演劇でも見に行ったときにふらりと入ったのかもしれない。本の奥付を見ると昭和五七年六月一〇日第一六刷発行とあるのでそれ以降のことだ。学生の頃だろう。定価=420円とだけ書かれている。消費税がなかった頃だ。気になったので帰宅してから調べるとどうやらもう存在していないようだ。余計に気になるがもうどうしようもない。
世にはいろんな方がいるもので検索していたら「書皮ギャラリー」という「書皮(書店ブックカバー・包装紙)の画像を分類展示してい」るサイトにぶつかった。この新潮文庫のカバーのデザインはアンリ・マティスの 版画集『ジャズ』だと書かれていた。これは知らなかった。どうやらNo.9「 フォルム」という作品の一部のようだ。カバーだと横長だと思ってしまうが、作品は縦長でしかも色を反転したものが二つ並んでいる。うーん、こんな有名な芸術家の作品を横長に使ってしまうのは勇気が要ると思うがどうだろう。
さて中身は『「明治維新」の哲学』という新書だ。カバーを掛けてあったがかなり変色してしまってい
る。著者の市井三郎氏は理学部を卒業後に哲学に転身したという経歴を持つ。明治維新の約1世紀前、人には身分の区別はないと唱えた山県大弐は1764年の明和事件で処刑されるが、その著書『柳子新論』は幕末に吉田松陰らに影響を与える。その流れと、19世紀の内外の大きなうねりと多くの人々の動きが語られるが、単に歴史上の出来事を解説したものではない。
第1章で、「おのおのの人間が、自分の責任を問われる必要のない事柄から、さまざまな苦痛を受ける度合いを減らさなければならない、という原則」において西欧の市民革命は以前よりは「一歩前進した」のが歴史の進歩と述べ、最後の第10章では「『みずからが責任を負う苦痛』の増えることまでを避けようとする態度がひろがるときには、ただよえる大衆社会が――西欧近代が指向した制度的目標が成就されて、しかも歴史の進歩という観念が茶番となるような状態――が出現せざるをえない」としている。さらに「人間の歴史は、どれほど多くの人間の内奥に、その自立性を呼び醒ましえたかによって、歴史の高さ――ほとんど進歩と同じもの――が測られると考えます。日本の『御一新』の変革は、その意味での歴史の高揚を示した一時期でした。」と綴っている。』今の日本を見ても考えさせられる。
中学や高校の限られた授業時間で、幕末から明治前半までの動きをたどるのは容易なことではないだろう。だが一方で、歴史を年表の暗記くらいにしか考えない中高生を量産するような授業はしてほしくないとも思う。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『「明治維新」の哲学』 市井三郎著 講談社現代新書121
昭和四二年七月二〇日第一刷発行 昭和五七年六月一〇日第一六刷発行 定価=420円

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