前前号( 第446号 北京三十五年 の巻 )で実際にその時代を生身で体験した実感をその人の言葉で聞くことは大切だと書いたが、その後にこの本が本棚にあったのを思いだし読み始めた。
『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』、
映画監督の陳凱歌による手記だ。「一九六五年、私は十三歳になった。」で始まる。第一人称を使って自分の目を通して書いているが、筆致は静かで過去の自分を少し突き放してみているようにも見える。詩的で映像のような描写は映画監督のものと感じさせらる。
陳凱歌は1965年9月1日に北京四中に入学する。当時すでに60年以上の歴史を持ち大学進学率は90%以上だったという。そんな学校だから政府の次官以上の幹部の子弟も20%以上いた。それだけに入学してからほどなく始まる文革の烈しい嵐にさらされることになる。
父親は労働改造班に監禁され、自宅は激しい「家宅捜索」をされる。友人の母親が自殺したり友人が命を落としたりした話が淡々と時に冷たいくらいに綴られていく。66年8月23日に太平湖公園を友人と散歩していて、足を引きずり顔を腫らした老人とすれ違う。翌日に作家老舎の遺体が発見されたというエピソードも出てくる。
「選択肢が一つしかないとなれば、それはもはや選択肢ではない。砂鉄が磁石に吸いつく現象を、選択された結果とは言わない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことではじめて砂鉄になれるのだ。(中略)唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。(中略)物質なら、それは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。」p.109「文化とは、恐怖を前提とした愚かな大衆の運動だった。」「私も、自分の家がやられた後で、ようやくカーキ色の軍服を着て、赤い腕章を腕に巻き、自転車に乗って飛び回るようになった。」
69年、17歳の時に雲南省の農村に行き毎日山を切り開く。そして71年に軍に入隊するところまでで終わっている。
陳凱歌はその後、1978年に北京電影学院に入学し卒業後、84年に『黄色い大地』を発表して評価されることになる。これだけの苦労を経験して作品を作りあげ成功した氏の生き抜く力強さを感じずにはいられない。
興味深かったのは雲南省の農場で作家の阿城といっしょにいたことだ。彼の作品に「孩子王」という小説があり、そ
れをもとに陳凱歌は「子供たちの王様」(邦題)という映画を作っている。87年のことだ。もう20年以上も前になるが、阿城の「棋王」という小説を読む必要があって図書館から借りたことを思い出した。徳間書店の現代中国文学全集に入っていた。そこに「树王(樹王)」という小説もあったのだが、この国営農場での野焼きの様子にこの「树王」の描写が引用されている。先週末、あれこれ思い出して地元の図書館に行って借りてきた。
中国の現代文学はもっと出版されていいのではないかと思う。あっても単行本で高いものが多い。文庫で出して学生が手にできるようにして欲しいと思うが、それでも手に取らないかとも思ってしまう。今回の『私の紅衛兵時代』は、例えば中国語学科で勉強している人には読んでほしいと思う。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
第446号 北京三十五年 の巻
2026年06月17日
第401号 中国幻想小説傑作集 の巻
2025年12月25日
『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』 陳凱歌著 刈間文俊訳 講談社現代新書1008
一九九〇年六月一五日第一刷発行 定価550円(本体534円)
一九九〇年八月二一日第二刷発行
『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』、
映画監督の陳凱歌による手記だ。「一九六五年、私は十三歳になった。」で始まる。第一人称を使って自分の目を通して書いているが、筆致は静かで過去の自分を少し突き放してみているようにも見える。詩的で映像のような描写は映画監督のものと感じさせらる。陳凱歌は1965年9月1日に北京四中に入学する。当時すでに60年以上の歴史を持ち大学進学率は90%以上だったという。そんな学校だから政府の次官以上の幹部の子弟も20%以上いた。それだけに入学してからほどなく始まる文革の烈しい嵐にさらされることになる。
父親は労働改造班に監禁され、自宅は激しい「家宅捜索」をされる。友人の母親が自殺したり友人が命を落としたりした話が淡々と時に冷たいくらいに綴られていく。66年8月23日に太平湖公園を友人と散歩していて、足を引きずり顔を腫らした老人とすれ違う。翌日に作家老舎の遺体が発見されたというエピソードも出てくる。
「選択肢が一つしかないとなれば、それはもはや選択肢ではない。砂鉄が磁石に吸いつく現象を、選択された結果とは言わない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことではじめて砂鉄になれるのだ。(中略)唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。(中略)物質なら、それは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。」p.109「文化とは、恐怖を前提とした愚かな大衆の運動だった。」「私も、自分の家がやられた後で、ようやくカーキ色の軍服を着て、赤い腕章を腕に巻き、自転車に乗って飛び回るようになった。」
69年、17歳の時に雲南省の農村に行き毎日山を切り開く。そして71年に軍に入隊するところまでで終わっている。
陳凱歌はその後、1978年に北京電影学院に入学し卒業後、84年に『黄色い大地』を発表して評価されることになる。これだけの苦労を経験して作品を作りあげ成功した氏の生き抜く力強さを感じずにはいられない。
興味深かったのは雲南省の農場で作家の阿城といっしょにいたことだ。彼の作品に「孩子王」という小説があり、そ
れをもとに陳凱歌は「子供たちの王様」(邦題)という映画を作っている。87年のことだ。もう20年以上も前になるが、阿城の「棋王」という小説を読む必要があって図書館から借りたことを思い出した。徳間書店の現代中国文学全集に入っていた。そこに「树王(樹王)」という小説もあったのだが、この国営農場での野焼きの様子にこの「树王」の描写が引用されている。先週末、あれこれ思い出して地元の図書館に行って借りてきた。中国の現代文学はもっと出版されていいのではないかと思う。あっても単行本で高いものが多い。文庫で出して学生が手にできるようにして欲しいと思うが、それでも手に取らないかとも思ってしまう。今回の『私の紅衛兵時代』は、例えば中国語学科で勉強している人には読んでほしいと思う。
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第446号 北京三十五年 の巻
2026年06月17日
第401号 中国幻想小説傑作集 の巻
2025年12月25日
『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』 陳凱歌著 刈間文俊訳 講談社現代新書1008
一九九〇年六月一五日第一刷発行 定価550円(本体534円)
一九九〇年八月二一日第二刷発行

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