歴史を解説した書物よりも祖父や近所のおじいさんの昔語りを聞いたほうがその頃の世の中が実感できる。何の具体性もない記述を読んでいると変な勘違いというか断定したイメージの固定が起きやすいように思う。世代の違う人との対面による対話がどんどん減っていることは大小さまざまなすれ違いを生んでいるのじゃなかろうか。すれ違いどころかかすりもせずに離れたところで勝手に言い合っているのが現状かもしれない。
実際の社会でどんなものを見てどんなことを感じたかを話す、その表情を拝見しながら聴かせていただくのが一番受け止めやすいと思うのだが、そうそうそんな機会はないわけで、過去を振り返りながら語るように書いてくれる本は大
いに参考になる。『北京三十五年』上下はそんなことを感じる本だ。『羊の歌』を読んだとき( 第363号 『羊の歌』 の巻 )にも似たような感じを持った。
著者の山本市朗氏は東北大学工学部を卒業した後、三菱鉱業から派遣されて中国山東省の鉱山に行く。それが1944年のことだ。北京に行き翌年日本は敗戦、北京は国民党の統治下となる。その頃、知り合いの中国人から工場をみてくれと言われて工場の修繕をするようになり引っ張りだこになってしまう。この頃の中国旧満州地区から帰国しようとする人たちの状況を描いたものは多い( 第391号 14歳 の巻 )が、北京の中から北京の街の様子、日本に帰れない日本人社会の様子は興味深い。
49年に解放軍がやってきて11月に北京市公安局第五処生産科の機械製造工場で働くことになる。待遇はかなりよかったらしい。生産設備をはじめ図面もなく図面を書いてもトレースする人がいない。図面用の鉛筆の削り方を教えるところから始まった。技術の教育はもちろん、「ズブの素人」の会計科などの人員たちとゼロからいっしょに運営していく様が語られる。
そうした中で、我々の聞くところの反右派運動や大躍進運動が起こるわけで、工場の中で働いていた視線でその時の状況が描かれる。
一つ例を挙げると、60年のころの工場は「どこの工場でも、大躍進の過労と、凶作による食糧不足とで、病人が多」く、トウモロコシの粉を蒸した窝头(貧しい人の主食というイメージのもの)を食べる「精神的な挫折感もあった。」と記したあとに、次のように続けている。「しかし、大躍進で培われた一般労働者の生産意欲は、強度は少し衰えはしたが、かえって、やや安定した勢力として彼らの間に定着して、すき腹をかかえながらも、生産意欲はけっして低調ではなかった。大躍進で加速されて、彼らの一人一人が、古い時代の半植民地的な雇用観念を振りすてて、自分の仕事に打ちこみ、自分の腕に誇りを持つという、日本の名人気質、職人気質に似た気風が、力強い底辺層に浸透しはじめた時期であった。それは、華やかな大躍進のお祭り騒ぎが過ぎたあとの静かなブームであった。
この気風こそ、私は、工業生産発展のための大衆的基礎であると思う。それは、建国十年以来つづけてきた、鳴り物入りの表彰と宣伝、形式的な社会科学理論の学習、具体的内容と現実の指導性にとぼしいいろいろの計画などが、どうしても彼らの間に定着させることのできなかったものであった。この基礎が、大躍進の余燼という形で、労働者たちの底辺層の中に定着しはじめた。
しかし、工業発展のために、一番尊いこのルートは、それが花を開き、実を結ばないうちに、その何年か後におこった「文化大革命」によって根こそぎ引き抜かれてしまった。」(下巻p.85)
個々人の仕事に対する誇りプロ意識は社会の中で暮らすもの同士のリスペクトにつながる。社会の成長、成熟に欠かせないものである。このような記述は工場の中でいっしょに汗を流した人でなければ書けないものであろう。
この本が出版されたのは1980年。調べると山本氏は94年に北京で病没したそう(文化通信【東翻西躁】48山本市朗さんの墓参り2023年12月4日)で、北京郊外に夫妻の墓があるという。「北京五十年」一度も帰ることがなかった(奥さんは一度帰国して手続きがうまくいかずなかなか中国に戻れなかった。この時文革だったのでむしろ幸いだったようだ)。山本氏の目に今の中国はどんなふうに映るだろうか。そして日本も。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『北京三十五年 ―中国革命の中の日本人技師―』上(全2冊) 山本市朗著 岩波新書(黄版)127
1980年 7 月21日 第1刷発行 定価380円
1980年10月20日 第4刷発行
『北京三十五年 ―中国革命の中の日本人技師―』下(全2冊) 山本市朗著 岩波新書(黄版)128
1980年 8 月20日 第1刷発行 定価430円
1983年 8 月20日 第8刷発行
第391号 14歳 の巻
2025年11月21日
第363号 『羊の歌』 の巻
2025年07月07日
実際の社会でどんなものを見てどんなことを感じたかを話す、その表情を拝見しながら聴かせていただくのが一番受け止めやすいと思うのだが、そうそうそんな機会はないわけで、過去を振り返りながら語るように書いてくれる本は大
いに参考になる。『北京三十五年』上下はそんなことを感じる本だ。『羊の歌』を読んだとき( 第363号 『羊の歌』 の巻 )にも似たような感じを持った。著者の山本市朗氏は東北大学工学部を卒業した後、三菱鉱業から派遣されて中国山東省の鉱山に行く。それが1944年のことだ。北京に行き翌年日本は敗戦、北京は国民党の統治下となる。その頃、知り合いの中国人から工場をみてくれと言われて工場の修繕をするようになり引っ張りだこになってしまう。この頃の中国旧満州地区から帰国しようとする人たちの状況を描いたものは多い( 第391号 14歳 の巻 )が、北京の中から北京の街の様子、日本に帰れない日本人社会の様子は興味深い。
49年に解放軍がやってきて11月に北京市公安局第五処生産科の機械製造工場で働くことになる。待遇はかなりよかったらしい。生産設備をはじめ図面もなく図面を書いてもトレースする人がいない。図面用の鉛筆の削り方を教えるところから始まった。技術の教育はもちろん、「ズブの素人」の会計科などの人員たちとゼロからいっしょに運営していく様が語られる。
そうした中で、我々の聞くところの反右派運動や大躍進運動が起こるわけで、工場の中で働いていた視線でその時の状況が描かれる。
一つ例を挙げると、60年のころの工場は「どこの工場でも、大躍進の過労と、凶作による食糧不足とで、病人が多」く、トウモロコシの粉を蒸した窝头(貧しい人の主食というイメージのもの)を食べる「精神的な挫折感もあった。」と記したあとに、次のように続けている。「しかし、大躍進で培われた一般労働者の生産意欲は、強度は少し衰えはしたが、かえって、やや安定した勢力として彼らの間に定着して、すき腹をかかえながらも、生産意欲はけっして低調ではなかった。大躍進で加速されて、彼らの一人一人が、古い時代の半植民地的な雇用観念を振りすてて、自分の仕事に打ちこみ、自分の腕に誇りを持つという、日本の名人気質、職人気質に似た気風が、力強い底辺層に浸透しはじめた時期であった。それは、華やかな大躍進のお祭り騒ぎが過ぎたあとの静かなブームであった。
この気風こそ、私は、工業生産発展のための大衆的基礎であると思う。それは、建国十年以来つづけてきた、鳴り物入りの表彰と宣伝、形式的な社会科学理論の学習、具体的内容と現実の指導性にとぼしいいろいろの計画などが、どうしても彼らの間に定着させることのできなかったものであった。この基礎が、大躍進の余燼という形で、労働者たちの底辺層の中に定着しはじめた。
しかし、工業発展のために、一番尊いこのルートは、それが花を開き、実を結ばないうちに、その何年か後におこった「文化大革命」によって根こそぎ引き抜かれてしまった。」(下巻p.85)
個々人の仕事に対する誇りプロ意識は社会の中で暮らすもの同士のリスペクトにつながる。社会の成長、成熟に欠かせないものである。このような記述は工場の中でいっしょに汗を流した人でなければ書けないものであろう。
この本が出版されたのは1980年。調べると山本氏は94年に北京で病没したそう(文化通信【東翻西躁】48山本市朗さんの墓参り2023年12月4日)で、北京郊外に夫妻の墓があるという。「北京五十年」一度も帰ることがなかった(奥さんは一度帰国して手続きがうまくいかずなかなか中国に戻れなかった。この時文革だったのでむしろ幸いだったようだ)。山本氏の目に今の中国はどんなふうに映るだろうか。そして日本も。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『北京三十五年 ―中国革命の中の日本人技師―』上(全2冊) 山本市朗著 岩波新書(黄版)127
1980年 7 月21日 第1刷発行 定価380円
1980年10月20日 第4刷発行
『北京三十五年 ―中国革命の中の日本人技師―』下(全2冊) 山本市朗著 岩波新書(黄版)128
1980年 8 月20日 第1刷発行 定価430円
1983年 8 月20日 第8刷発行
第391号 14歳 の巻
2025年11月21日
第363号 『羊の歌』 の巻
2025年07月07日


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