90年代の初め頃に私は初めて中国に滞在した。学生は私を日本人と見ると日本語で話しかけてくる。日本人と日本語で会話するめったにないチャンスなのだ。その学生が日本語を流暢にしゃべるので日本に行ったことがあるのかと聞くと笑いを浮かべながら「ないです」と答えた。私はよくわかっていなかったのだが、その頃は外国に行くことは簡単なことではなかったのだ。さらに英語を勉強している学生は英語で話しかけてくる。日本人は英語を勉強しているから話せるだろうと思って私を練習台にしようと来たわけで、辛いことであった。が、隣の部屋にはアメリカ人夫婦が住んでいて食堂で毎日会うので話をせざるを得ず、中国の滞在で英会話はちょっと伸びた。ほんのちょっとで大した内容ではないが。
 日本語を熱心に勉強している学生にどうして日本語を勉強しているのかと聞くと、日本企業で働いていい給料をもらいたいからだとはっきりと答えた。むしろ、ほかに何か理由があるのかといった表情だった気がする。日本の80年代には外国語を学んで外資企業で高収入を得ようと明確に考えて勉強している人は少数だったろう。受験科目に英語があるから勉強していたくらいなもので、その延長線上にペラペラになってアメリカ企業で働こうとイメージしていた人はどれくらいいただろうか。外国語ができると「国際交流できる」くらいの漠然とした思いくらいしかなかったんじゃなかろうか。
 時は流れて、多くの外国人が観光地にあふれ多くの店で、土産物を売ったり注文を取ったりするくらいの英語を操る店主や従業員は多く見かけるようになった。中国からも容易に日本に来れるようになった。さらにアメリカの大統領が中国に行き「G2」と自分たちを呼ぶ。しかし、これからは中国語を身につけようと考える日本人は増えないだろう。中国以外の国からもたくさん来ているがそれらの人たちの話す言語を学ぶ人は増えないだろう。2026.04.18ことばの力学
 前置きが長くなってしまったが『ことばの力学』を読み終えてそんなことを考えていた。応用言語学というと言語教育のことと思うことが多いが、言語にはいろいろな「力」が働いていて、言語を取り巻く状況を繙くのもその領域ということを例を追って紹介している。
 一人一人に基本的な人権があるように、どんな言語も尊重されなければならない。が、言語によってカッコ良く思われたり軽んじられたり侮蔑が混じったりするのが現実だ。その構図を見せて事実を知らしめても、人々の中にはそれぞれの言語に対するイメージや思い込みなどがあって、それらが変わることは簡単なことではない。
 これからの世の趨勢を考えたとき、いろんな言語ができる人がいる国、地域の方がいいことの方が多いのだから教育政策にも反映させてもいいのだが、そういう発想は生まれず、なぜか「英語をもっと伸ばさないと……」という方向に行く。
 言葉を話す権利は生きる基本であり、言葉を学ぶ権利は教育を受ける基本だ。少数の権利を守るというのは社会的には効率が悪いのだから、人々が流されないようにそれを守る理念が必要であり、それはもっと共有されなければならない。それがますます難しい雰囲気になっている。
 第1部の第5章で手話について解説している。私は不勉強だったが、日本手話は自然言語であり母語として習得できるが、日本語対応手話は人工的に日本語を視覚化した不自然な言語であって違いがあり日本語対応手話を教わっても日本手話の母語話者とコミュニケーションが取れないということもあるそうだ。また大学でいわゆる第二言語として手話を履修できるのは日本では数えるほどだが、アメリカでは数百の大学で外国語として認められているとのことだ。
 著者の白井氏の著作は『外国語学習に成功する人、しない人: 第二言語習得論への招待』という岩波科学ライブラリーを読んだのが最初だった(ネットで買っていると購買履歴が見られて2007年に買っていた)。今は新版が出ている。次に『外国語学習の科学-第二言語習得論とは何か』(これも岩波新書)が出て、前作を整えて新書にした感じだ。必読とまでは言わないが言語教育に携わる人は読んでおいて欲しいところだ。が、英語の人ってあんまりこういうのは読まないんだよな。これも偏見。

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 『ことばの力学――応用言語学への招待』 白井恭弘著  岩波新書(新赤版)1419
2013年3月19日第1刷発行   定価(本体720円+税)     
しらいやすひろ