加賀乙彦の作品は『宣告』を読んでから『フランドルの冬』、『帰らざる夏』、『頭医者事始』などいくつか読んだ。加賀氏の作品は長編がいいなと思い、古本屋に入ると探していた時期があった。そんなときにこの『見れば見るほど…』を見つけて、「おっ、こんなエッセイ集もあったのか」と買っておいたようだ。
奥付を見ると昭和59年(1984年)の発行だが、単行本は1980年なので『宣告』の1年後だ。あとがきに「一九七八年四月から二年間にわたって、『日本経済新聞』にこの文章を書いてきた。」「毎週悪口をたたくのに疲れてしまった。」とある。日経のコラムだったのだ。であるからして、見開きかっきり2ページ分の文章が100近く収録されている。
編集者からは世の風潮を批判するものを書いて欲しいということだったのだろう。日々誰しも腹の立つことはいろいろあるものだが、毎週きっちり一行違わず2ページにまとめるというのは大変だったのではないかと思う。当時ワープロを使っていたのだろうか。今原稿用紙に書き直していたら相当面倒だと感じるに違いないが、それは普通のことだったのだ。
氏はあとがきで「最初の予定では半年ぐらいでやめるつもりだった」が「自分でも驚くほど、悪口の種がつきなかった」と書いている。
氏が怒っているのは50年前の日本である。若い頃にフランスに留学していたので欧州と比較して批判することが散見される。今ならちょっと鼻につくところかもしれない。ちょっとした発見もある。この頃の日本人は駅で若者、年輩の紳士や妙齢の婦人も痰を吐いていたのだ(嫌タン運動のすすめp.206)。
また、一流ホテルのロビーで若いお母さんがおしめを取り替えたり乳房を出してお乳をあげたりしていることはみっともないと書いたら抗議の手紙が殺到したそうだ。当時の「炎上」の形態だ。これなどはトイレに乳児用ベッドが設置されたり授乳室ができたりと少しずつ社会が変わってきたわかりやすい例だ。銀行で名前を呼ばれるのが不快だと書いているが、これも今はない。
「来年大学を受ける青年が相談に来た」で始まる文章がある。二浪したから是非来年こそは受かりたいがどこの大学の何かを受けたらいいかと著者のところに聞きに来たという。青年は「去年までは不況で理工系はてんでだめでしたが、最近の新聞では製造業関係の雇用が多少盛り返しているようだから、理工系を受けようかとも思うし、文部省が四十人学級へむけて先生を大量増員しているから、教育学科なんか成長株だと思うんです。でも、そういう学科にはみんなが集まって、合格点が高くなるだろうし、そこのカネアイがむずかしいです」と嘆息した、とある。むろん筆者は、自分の関心のある学問、なりたい職業を考えるの先決だと言うわけだが、青年は不思議そうな顔つきであった。このかみ合わないところは今もあまり変わっていないかもれしない。
純文学の大家がこんなものも書いていたのかという本であった。氏は90歳を過ぎてもテレビに出ているのを見て、元気だなあと思っていたら数年前に93歳で亡くなってしまった。今年ももう三分の一が過ぎてしまったが、これから本棚にある未読の氏の長編を楽しみたい。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『見れば見るほど…』加賀乙彦著 中公文庫M224
昭和五十九年一月二十五日印刷 定価320円
昭和五十九年二月 十 日発行
昭和五十五年五月 日本経済新聞社刊

奥付を見ると昭和59年(1984年)の発行だが、単行本は1980年なので『宣告』の1年後だ。あとがきに「一九七八年四月から二年間にわたって、『日本経済新聞』にこの文章を書いてきた。」「毎週悪口をたたくのに疲れてしまった。」とある。日経のコラムだったのだ。であるからして、見開きかっきり2ページ分の文章が100近く収録されている。
編集者からは世の風潮を批判するものを書いて欲しいということだったのだろう。日々誰しも腹の立つことはいろいろあるものだが、毎週きっちり一行違わず2ページにまとめるというのは大変だったのではないかと思う。当時ワープロを使っていたのだろうか。今原稿用紙に書き直していたら相当面倒だと感じるに違いないが、それは普通のことだったのだ。
氏はあとがきで「最初の予定では半年ぐらいでやめるつもりだった」が「自分でも驚くほど、悪口の種がつきなかった」と書いている。
氏が怒っているのは50年前の日本である。若い頃にフランスに留学していたので欧州と比較して批判することが散見される。今ならちょっと鼻につくところかもしれない。ちょっとした発見もある。この頃の日本人は駅で若者、年輩の紳士や妙齢の婦人も痰を吐いていたのだ(嫌タン運動のすすめp.206)。
また、一流ホテルのロビーで若いお母さんがおしめを取り替えたり乳房を出してお乳をあげたりしていることはみっともないと書いたら抗議の手紙が殺到したそうだ。当時の「炎上」の形態だ。これなどはトイレに乳児用ベッドが設置されたり授乳室ができたりと少しずつ社会が変わってきたわかりやすい例だ。銀行で名前を呼ばれるのが不快だと書いているが、これも今はない。
「来年大学を受ける青年が相談に来た」で始まる文章がある。二浪したから是非来年こそは受かりたいがどこの大学の何かを受けたらいいかと著者のところに聞きに来たという。青年は「去年までは不況で理工系はてんでだめでしたが、最近の新聞では製造業関係の雇用が多少盛り返しているようだから、理工系を受けようかとも思うし、文部省が四十人学級へむけて先生を大量増員しているから、教育学科なんか成長株だと思うんです。でも、そういう学科にはみんなが集まって、合格点が高くなるだろうし、そこのカネアイがむずかしいです」と嘆息した、とある。むろん筆者は、自分の関心のある学問、なりたい職業を考えるの先決だと言うわけだが、青年は不思議そうな顔つきであった。このかみ合わないところは今もあまり変わっていないかもれしない。
純文学の大家がこんなものも書いていたのかという本であった。氏は90歳を過ぎてもテレビに出ているのを見て、元気だなあと思っていたら数年前に93歳で亡くなってしまった。今年ももう三分の一が過ぎてしまったが、これから本棚にある未読の氏の長編を楽しみたい。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『見れば見るほど…』加賀乙彦著 中公文庫M224
昭和五十九年一月二十五日印刷 定価320円
昭和五十九年二月 十 日発行
昭和五十五年五月 日本経済新聞社刊



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