文京区は坂が多い。ふらっと歩くと坂にぶつかる。
 丸ノ内線は地下鉄だが、後楽園のあたりから茗荷谷まで地上に出ていて窓の外を見ていると小さな石段のある通り、風情のある路地などがいくつも見える。少しぶらぶらしたくなるような通りだ。時間がちょっと空いたときなどは、どこにつながっているIMG_4154のかわからないまま歩いてしまうこともあった( 第301号 )。
 春日通りからふらっと地下鉄の方に下りると庚申坂という坂があった。説明書きを読んでみると「この坂を切支丹坂というは誤りなり」とある。こんな記述を見ると切支丹坂のほうが気になってしまう。
 それでちょっと調べてみたら、このあたりが『市塵』という小説に出てくるらしいので買ってしまった。作者は藤沢周平。そんな理由で買って積んだままになっていたものを、引っぱりだして読み始めたわけで、一行目に「その日新井白石は」で始まるのを見てようやく新井白石の話だとわかった次第。『市塵』というタイトルからはどんな話か何も浮かんでこなかった。
2026.03.04市塵 甲府藩邸に出仕した白石は間部詮房から綱吉の娘の鶴姫が亡くなったことを知らされる。そのため甲府藩主綱豊は次期将軍となり、白石の運命が変わってくる。
 白石は下痢の持病があったらしく床に伏していることも少なくなかったようだが、綱吉時代の悪政を変えようと真摯に政治に向き合う白石の姿が浮かび上がる。林家の存在や城中の力関係などがあり、政治というものは一筋縄ではいかない。日本史の教科書では「正徳の治」と一行くらいしか記述がないが、間部詮房や六代将軍家宣の後ろ盾があったからこそ白石の仕事が活きたのがよくわかる。時代にはまって懸命に仕事をしたと言うべきか。
 白石は、屋久島に上陸しその後江戸に護送されたシドッチという「伴天連」を尋問している。その場所が切支丹坂の先の切支丹屋敷であった。現在の文京区小日向だ。それを元に書いたのが、『西洋紀聞』と『采覧異言』であるわけだが、知というものを広く得ようという姿勢が、他のお抱えの儒者とは違い現実の政治をどう動かすべきかという意識につながっているように思う。白石が何者かをひと言で言うと儒者というくくりになるのだろうが、当時は勉強するとなると儒学からスタートせざるを得なかっただけのことだ。
 さて知らなかったのだが、更におもしろいことに、シドッチは2014年に切支丹屋敷裏門跡から遺骨が発見され、DNA鑑定の結果シドッチ(他の文献ではシドッティとなっている)のものとわかった。そして遺骨を元に復顔までされている。検索すれば復顔された顔をすぐに見ることができる(屋久島シドッティ記念館設立実行委員会のホームページ)。
 坂の説明を読んだときは新井白石、シドッティ、屋久島、そして彼の故郷シチリアに思いが及ぶとは思ってもみなかった。

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 第301号 数学とは関係ないけれど の巻 
 2024年06月03日

市塵(上) (講談社文庫)
藤沢周平
講談社
2013-02-25


市塵(下) (講談社文庫)
藤沢周平
講談社
2013-02-25


新装版 市塵(上) 藤沢周平著  講談社文庫 ふ 2 16
2005年 5月15日第1刷発行  ¥571+税

新装版 市塵(下) 藤沢周平著  講談社文庫 ふ 2 17
2005年 5月15日第1刷発行  ¥571+税
2006年12月1日第4刷発行

本書は一九八九年五月小社より単行本発行されたものです。
解説 伊集院静 

1988年刊行。第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。