積まれている本の中には古典もある。「これくらい読んでおかなくてはな」と思って読んでいなかったのである。こういうものは歳をとってからだと手に取りにくい。今まで読んでいませんでした、と堂々と言いにくいところがあるからだ。でも、読まないままでいるよりはいいだろう。死んでからは読めないのだから。というわけで、ゲーテの『ファウスト』を手に取った。
積んであったのは手塚富雄の訳による中公文庫のものだ。悲劇第一部と第二部が上下に分かれていて三冊(現在は二冊組になっている)なので少々気合いが入る。
戯曲なのでセリフが中心だからページ中の文字はさほど多くない。わかりやすいところはどんどん進む。しかし、詩が多いのでしっかり理解しようと思うと止まってしまう。それに訳注があるので出てくるたびに巻末の箇所を見る。見てもすっと腑に落ちるわけではなくまた戻って読み進む。
戯曲のセリフというのは大胆に言えば詩であり多くが訳しにくい。韻のあるものはよけいに味わいにくいというか、原語でなければ味わうのは無理だと言えるかもしれない。ギャグと詩は極端な言い方をすれば翻訳不可能だ。翻訳の限界はあるが、何とか表現しようとする知の挑戦がありおもしろさがある。うまい訳は喝采ものだ。ドイツ語の原典は全く知らないが、読んでいて恐らく歌などはリズムをうまく出そうとしているのだなと感じられところがいくつもあった。
裏表紙には「翻訳史上画期的な、格調高い名訳で贈る」とある。調べてみると訳者は森鴎外から始まって、あの中学の国語の教科書に載っている『少年の日の思い出』の訳者である高橋健二など、手塚氏の前に6人の訳が出ている。手塚氏のあとにも6、7人の訳が出版されている。訳によってもかなり印象は変わるだろう。有名な「人間は努力するかぎり迷うものでだ。」(p.30)は、東京ゲーテ記念館のサイトによると「旧約聖書の「ヨブ記」の一節へのゲーテの解釈でもあると同時に、ゲーテに先立ってアレグザンダー・ポープが言った「誤るは人間、許すは神」を意識した台詞です。▼日本語では、「努力」は美徳ですが、主が言ったstrebtは、野心的な行為のことでした。夢あふれる仕事であっても、欲深く手をひろげれば、過ちを犯すのはあたりまえです。▼「迷い」も、日本語では真摯な人間らしい行為とみなされがちです。原語のirrtを「迷う」と訳したのは森鷗外で、以後この訳が定着しました。」とあり、英語訳の例まで載せている。
「ドイツ語原文:Es irrt der Mensch, so lang' er strebt.Faust, Der Tragödie erster Teil, Z.317
それでも、あれこれ考えた。訳者の手塚氏自身が第二部(下)の巻末に40ページもの解説を寄せていて、これは参考になりありがたかった。特にファウストが最後に救済されるところはいろいろ考えさせられた。ここが肝であろう。ベースは人間肯定なのだ。
ゲーテが生まれたのは1749年。日本でいうと田沼意次の息子の田沼意知が生まれた年だ。当時としては長生きのゲーテが82歳で死んだのは1832年。日本でいうと孝明天皇が生まれた1年後、木戸孝允が生まれる1年前だ(ファウスト第二部はゲーテが死んだ翌年の1833年に出版されている)。こんなふうにあれこれ思いを巡らせただけで収穫であった。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『ファウスト 悲劇第一部』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫 ケー1 C12
一九七四年一〇月一〇日初版 ¥476+税(490円)
一九八九年 一月十五日 5版
『ファウスト 悲劇第二部(上)』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫 ケー2
一九七五年三月一〇日初版 ¥524+税(540円)
一九九一年二月二十日 4版
『ファウスト 悲劇第二部(下)』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫ケー3
一九七五年三月一〇日初版 ¥544+税(560円)
一九九一年三月一〇日 4版

積んであったのは手塚富雄の訳による中公文庫のものだ。悲劇第一部と第二部が上下に分かれていて三冊(現在は二冊組になっている)なので少々気合いが入る。
戯曲なのでセリフが中心だからページ中の文字はさほど多くない。わかりやすいところはどんどん進む。しかし、詩が多いのでしっかり理解しようと思うと止まってしまう。それに訳注があるので出てくるたびに巻末の箇所を見る。見てもすっと腑に落ちるわけではなくまた戻って読み進む。
戯曲のセリフというのは大胆に言えば詩であり多くが訳しにくい。韻のあるものはよけいに味わいにくいというか、原語でなければ味わうのは無理だと言えるかもしれない。ギャグと詩は極端な言い方をすれば翻訳不可能だ。翻訳の限界はあるが、何とか表現しようとする知の挑戦がありおもしろさがある。うまい訳は喝采ものだ。ドイツ語の原典は全く知らないが、読んでいて恐らく歌などはリズムをうまく出そうとしているのだなと感じられところがいくつもあった。

裏表紙には「翻訳史上画期的な、格調高い名訳で贈る」とある。調べてみると訳者は森鴎外から始まって、あの中学の国語の教科書に載っている『少年の日の思い出』の訳者である高橋健二など、手塚氏の前に6人の訳が出ている。手塚氏のあとにも6、7人の訳が出版されている。訳によってもかなり印象は変わるだろう。有名な「人間は努力するかぎり迷うものでだ。」(p.30)は、東京ゲーテ記念館のサイトによると「旧約聖書の「ヨブ記」の一節へのゲーテの解釈でもあると同時に、ゲーテに先立ってアレグザンダー・ポープが言った「誤るは人間、許すは神」を意識した台詞です。▼日本語では、「努力」は美徳ですが、主が言ったstrebtは、野心的な行為のことでした。夢あふれる仕事であっても、欲深く手をひろげれば、過ちを犯すのはあたりまえです。▼「迷い」も、日本語では真摯な人間らしい行為とみなされがちです。原語のirrtを「迷う」と訳したのは森鷗外で、以後この訳が定着しました。」とあり、英語訳の例まで載せている。

「ドイツ語原文:Es irrt der Mensch, so lang' er strebt.Faust, Der Tragödie erster Teil, Z.317
高橋五郎訳(1904年):寔〔げ〕]に人や奮進〔ふるひすす〕む間は躓〔つまづ〕かざるを得ず。
『ファウスト』前川文榮閣
町井正路訳(1912年):人間と云うものは慾望の旺んな内は、兎角過失に陥り易いものだ。『ファウスト』東京堂
町井正路訳(1912年):人間と云うものは慾望の旺んな内は、兎角過失に陥り易いものだ。『ファウスト』東京堂
森林太郎訳(1913年):人は務めてゐる間は、迷ふに極まったものだからな。
『ファウスト 第一部』冨山房
Anna Swanwick訳 (1850年):Man, while he striveth, still is prone to err.
Bayard Taylor訳(1870年):While Man's desires and aspirations stir, He cannot choose but err.」
さらに迷いに疑問を呈している訳として、柴田翔訳『ファウスト』(講談社)の「求めつづけている限り、人間は踏み迷うものだ」を挙げている。興味もあるがドイツ語もわからないのに沼にはまっては大変だ。
もし自分が19世紀初めに生きるそれ相応の知識があるドイツ人で、この戯曲の上演を見たら、ゲラゲラ笑う場面や腕を組んで考えこむ場面などもあるのだろう。200年後のキリスト教的風土のないところで、翻訳された言語で読むことでどれだけ感じ取れるものだろうかというところはある。ギリシャ神話ももう少しわかっていたらもっと楽しめたのかもしれない。さらに迷いに疑問を呈している訳として、柴田翔訳『ファウスト』(講談社)の「求めつづけている限り、人間は踏み迷うものだ」を挙げている。興味もあるがドイツ語もわからないのに沼にはまっては大変だ。
それでも、あれこれ考えた。訳者の手塚氏自身が第二部(下)の巻末に40ページもの解説を寄せていて、これは参考になりありがたかった。特にファウストが最後に救済されるところはいろいろ考えさせられた。ここが肝であろう。ベースは人間肯定なのだ。
ゲーテが生まれたのは1749年。日本でいうと田沼意次の息子の田沼意知が生まれた年だ。当時としては長生きのゲーテが82歳で死んだのは1832年。日本でいうと孝明天皇が生まれた1年後、木戸孝允が生まれる1年前だ(ファウスト第二部はゲーテが死んだ翌年の1833年に出版されている)。こんなふうにあれこれ思いを巡らせただけで収穫であった。
※ コメントは表示されないようになっていますが、書いていただければ私の方には届きます。
『ファウスト 悲劇第一部』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫 ケー1 C12
一九七四年一〇月一〇日初版 ¥476+税(490円)
一九八九年 一月十五日 5版
『ファウスト 悲劇第二部(上)』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫 ケー2
一九七五年三月一〇日初版 ¥524+税(540円)
一九九一年二月二十日 4版
『ファウスト 悲劇第二部(下)』 ゲーテ著 手塚富雄訳 中公文庫ケー3
一九七五年三月一〇日初版 ¥544+税(560円)
一九九一年三月一〇日 4版


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