ノンフィクションを読むのは好きだが、佐高信の『現代を読む―100冊のノンフィクション』岩波新書を読んで、自分は本を読んでいないなあと思ったのを覚えている。こんなに広い範囲から100冊を選ぶほどの読書量はない。この新書が出たのが1992年だ。それから30年以上経ってこの本を手にしたことも忘れていたが、この100冊の中で読んだものはそんなに増えていないと思う。
当然と言えば当然なのだが、この中に澤地久枝の本もあった。たしか『妻たちの二・二六事件』だったと思う。『滄海(うみ)よ眠れ』も代表作で、最近毎日文庫から復刊された。「戦争ノンフィクションの金字塔」と銘打っている。文庫で1冊1320円、全5巻。気軽には手を出せない。
整理中の本棚から手軽に手を出せそうな澤地氏の新書が出てきた。『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』である。
「弟の孫が、十四歳になった。当然と言えば当然なのだが、この中に澤地久枝の本もあった。たしか『妻たちの二・二六事件』だったと思う。『滄海(うみ)よ眠れ』も代表作で、最近毎日文庫から復刊された。「戦争ノンフィクションの金字塔」と銘打っている。文庫で1冊1320円、全5巻。気軽には手を出せない。
整理中の本棚から手軽に手を出せそうな澤地氏の新書が出てきた。『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』である。

この男の子に、むかしの日本の暮しについて、話してやりたいと思う。」
という書き出しで始まる。著者は14歳の時中国吉林市で敗戦を迎え、もうすぐ16歳になるころにやっと日本に帰る。敗戦後の混乱はもちろんだが中国東北部における戦争中の生活の様子も女学生の視点から描かれる。「引き揚げ」の過程は大変なのだが、むしろ大人と子どもの狭間にいる女子中学生が多感なまなざしで周囲の大人や社会を見ているところが興味深かった。作者は自分のことを「少女」と呼んで書き進めている。
帯には「わたしは軍国少女だった」と書かれていると、率先して軍国主義を推し進めているようなイメージを持つかもしれないが、ごく普通の教師や周りの大人の言うことを素直に聞いていた、真面目な少女であったに過ぎない。何度か書かれているように情報は何もなく「何も知らなかった」のである。
他の著作を読んでいない私が言うのははばかられるが、澤地氏は生活をしている人々が「知らなかった」ということが世の中の過ちの根本だと思っていて、私たちは知らなければならないという思いが澤地氏をノンフィクションへの道に向かわせたのではないかと感じた。
「おわりに」で「十四歳の子のために、七十年前に十四歳であった少女の物語を書こうとした」が「体験の伝承などないと思える」と書いている。この本が書かれたのは2015年。澤地氏は「ITとカネの動く社会で、若くて『無知な』子どもたちは、悪に染まる」と嘆いている。それでも「少年に話をする」と結んでいる。
さらに10年経った戦後80年の2025年もあとひと月で終わりだ。暗くなるのが早くなってきた。コツコツ積み上げてきたものを無神経に蹴飛ばし踏みつけているようなものたちが跋扈しているいやな感じと相俟って気持ちが暗くなる。
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『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』澤地久枝著 集英社新書0789 D
二〇一五年六月二二日 第一刷発行 ¥700+税


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