何年前のことだったか記憶に定かでないが、阿辻哲次氏の講演を聴いたことがある。小学校の先生から漢字のテストで児童の書いた漢字のトメやハネの違いを○にするべきか×にするべきかという質問を受けた時の話に触れたように思う。スライドに小川環樹氏の直筆のサインを映し出し、大先生も「環」の下の縦棒がハネて書いているのを見せた。要するに漢字の書き方の小さな差異は書体・デザインの差異なのだということで、もやっとしていたものが晴れていくように感じた。書道が芸術として存在するのもそんなところにあるのかもしれない。
 お話もとても興味深かったが講演の後、司会の先生の質問にも間髪入れずお答えになり「知のかたまり」という印象であった。
 漢字というのは、「この字はここが出てはいけない」とか、「この字はこちらの棒が長くなくてはいけない」などと子どもの頃から言われているので、思い込み感が強いものだと思う。部首もそのひとつだ。
 先月、『部首のはなし 漢字を解剖する』阿辻哲次著を読んだ。2025.11.30部首のはなし
 そこでも取り上げられていたのだが、自分が何十年も前に中国語を勉強し始めた頃に辞書を引いたことを思い出した。「気分が悪い」は“不舒服”と言う。「舒」の字の部首は何だかおわかりだろうか。最初に「予」かな、と思って指を動かして画数を数えて時間を使い、あれこれページをめくった後でようやく「舌」の部だと分かった。何分かかったか分からないが、やっと“shū”と読めたのである。
 ひとつの語を調べるのにいくつかの辞書に当たるようなことは小中学生の頃はしない。漢字の部首というのはどこかできちんと決められているものかと漠然と思っていた。が、これも字典の編者によって違っていて、そこには時代背景や思想などの影響もあるようだ。
 前述の「舌」の部首のはなしに続くが、「宿舎」の「」は中国の漢字では「」と書く。初めて見たときは「変だな。」と感じたが、日本では戦後の漢字改革で字形が変更され、部首も多くの辞書が「口」部にしている(P.106)。日本の多くの学者が必ず見ている「康熙字典」では「舌」に収められている。戦後の文字改革ではその委員会に漢字の専門家は入っていなかったらしい。何とも解せない話である。
 もともと月刊誌に連載されていたものをまとめているので、50の部首をとりあげてそれぞれ4頁ずつで構成されている。電車で乗り換えごとに読むのにちょうど良い。漢字にたいていの人がちょっとは興味があるのでだれでも楽しめるのではなかろうか。
 氏が関西の人だからか(こう書くと多方面からお叱りを受けそうだが)、各章の最後に必ずとい言っていいほどオチがついている。このオチが決まっていないところもあり、電車の中でにやけてしまった。

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部首のはなし: 漢字を解剖する (中公新書 1755)
阿辻 哲次
中央公論新社
2004-07-25


『月刊しにか』二〇〇一年四月より二年間連載した「部首のはなし」を大幅に加筆
『部首のはなし 漢字を解剖する』阿辻哲次著 中公新書1755
2004年7月25日 初版    ¥720+税
2005年4月10日 7版