グレゴリー・ケズナジャット(Gregory Khezrnejat)著『開墾地』を一週間くらい前に読了。
 以前読んだ同作者の『鴨川ランナー』( 第198号 )も朝日新聞の書評欄で目にして興味を持ったのだが、この作品も同じく書評欄で取り上げられていた(朝日新聞2023年4月1日朝刊)。『鴨川ランナー』は京都文学賞を受賞していて、この『開墾地』は第168回芥川賞の候補になっている。
 第198号でも書いたように、母語でない言葉を学習していると、辞書にある2025.03.31『開墾地』表紙学習している言語(あるいは日本語)がそのまま日本語(あるいは学習している言語)のコミュニケーションにおける意味として機能するわけではないと思うことがある。言葉というものは母語のコミュニケーションにおいても話している相手と違う意味合いをもっているなと感じることがあり、自分だけがこの言葉にこの概念を当てはめていたのか思うと大げさに言うとそのズレが自分のアイデンティティーを揺さぶることがある。言葉というのは事物の規定とも言えるし、外界のものが揺らいで見えるとも言える。
 この小説でも表紙のデザインになっている「葛」は“kudzu”と英語になっているが想起されるイメージは違うものだ。言葉だけでなく、もの、音、風景、肌で感じる温度や湿度なども自分の感じ方と他者の感じ方や受け取り方が違う。その揺らぎが少ないところが自分のいわゆる「居場所」なのかもしれない。
 『鴨川ランナー』も作者がALTとして日本に来た体験が下敷きになっているが、この『開墾地』も作者の生い立ちがもとになっている。血のつながらない継父のイラン人に養われ、日本語に興味を持つようになる。アメリカ南部の学校に日本語科目が設置されるようになったのも日本企業が来たからという「人為的」な面があり、それは葛がアメリカ南部の土地を覆っているのも人為的な結果(葛を調べるとすぐに出てくる)なのと重なって見える。
 父親とホームセンターに行ったとき店員や他の客の表情にある種の感情を感じたのも、父親の従兄弟との家族観や祖国に対する感じ方の違いを感じるのも主人公が「言葉の揺らぎ」を持っているからだろうか。
 この「揺らぎ」は、ない方が、あるいは少ない方が幸せに生きているようにも見えなくもない。が、見えていなかったものが見えるのは新しい自分のあり方を考えられる材料になるとも言える。うまく言えないがそんなことをぼんやり思った。
 それにして96ページの単行本では売れないだろうな。かといって本にならなければ読むことはできないのだが。

開墾地
グレゴリー・ケズナジャット
講談社
2023-01-18





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『開墾地』グレゴリー・ケズナジャット  Gregory Khezrnejat著  講談社 
2023年1月24日第1刷発行    1300円+税
   初出 「群像」2022年11月号


 第254号 エクソフォニーの愉楽 の巻 
 2023年11月30日
 第198号 母語で書かない小説 の巻  
 2023年06月22日