脳科学と言われる分野の研究が進み自分の意識も「脳がそのように感じさせている」というような言い方を聞くとかなり客観的に自分の意識を捉えているような気になる。しかし、いくら理性的に考えたいと思っていても自分で考えたように予定をこなせないし、何かを見てイライラや嫌悪感のようなものが出てくることは避けられないし、自分の意識は自分でなかなかコントロールできない。「意識」と書いたが「心」と置き換えられるだろうか。意識は「無意識」に対する言葉で心はどちらも含めて使っているかもしれない。
 『カノン』という小説をひと月ほど前に読み終えた。本当はもっと前に読み始めていたのだが、ある登場人物の行動にちょっといたたまれないような2025.05.10カノン表紙いところがあって本を閉じたらその後忙しくなって読むのを中断してしまったのだ。子どもの頃からそういうところがあってテレビを見ていて主人公が危険な目に遭いそうになると見ていられなくなったりした。今でもビデオで映画を見ていると途中でポーズボタンを押しそうになる。映画は映画館で見たい。
 作者は中原清一郎。中原清一郎は『北帰行』( 第315号 『北帰行』 の巻 )や『ドラゴン・オプション』( 第323号 『ドラゴン・オプション』 の巻 )を書いた外岡秀俊の別名義だ。どう使い分けているのかはわからない。
 心が入れ替わるというストーリーはいくつもあるが、この小説では近未来に海馬を移植するという筋立てでリアルな設定としている。海馬はその人の人生を記憶していて人格そのものに近いと言っていいかもしれない。一方、人間は身体を使って生活してきた人生があり、身体を使ってきた感覚から得られた世界観も持っている。「私」とは何なのか。「私の心」はどこにあるのか。「心」とは何なのか。掴みきれないであろうと思うテーマに挑んでいく作者の気持ちを感じる。
 途中、印僑の子が出てくる場面は伏線が見えてしまったが、全体的によくできた小説だと思う。「私」というものは何にもとらわれない「私」という存在はあり得ず、自分の身体、自然環境、社会、周囲の人間との関わりから否応なく影響を受け、自分としてありたい、自分というものを持っていたいという抗いとも言うような自身に対して働きかけの中に生まれるものかもしれない。
 冒頭に「いたたまれない」と書いた場面も、自分をコントロールできないその登場人物の行動を通して「心」を描いたのかもしれない。
 解説は神学の面から佐藤優が書いていて、こちらも興味深かった。

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『カノン』 中原清一郎著 河出文庫  な 38-1
 二〇一六年十二月一〇日 初版印刷
 二〇一六年十二月二〇日 初版発行  800円+税

 初出 「カノン」……『文藝』二〇一四年春号

カノン (河出文庫)
中原清一郎
河出書房新社
2016-12-30


 第323号 『ドラゴン・オプション』 の巻  
   2024年09月16日   
 第315号 『北帰行』 の巻  
 2024年08月17日