最近、「恐れ入谷の鬼子母神」と言ったら、若い人(どのあたりを「若い」というのかわからないが)が「?」という顔をした。それで、「例えば、『その手は』と来たら?」と振ったところ、「食わないぞ。ですか?」と来た。それでは言葉の妙が何もないではないか。「その手は桑名の焼き蛤よ、だよ。」と言うと、きょとんとしていた。
 自分は子どもの頃から知っていたような気もする。いつ頃から通じないことばになってしまったのだろう。年齢層のどこで境界線が引かれるのか知りたいところだ。
 なんてことがあってしばらくして朝日新聞の土曜Be版(2024.07.06朝日新聞あさがお7月06日)を見ていたら、
 
 という字が見出しに大きく出ている「街のB級言葉図鑑」というコラムがあった。読んでみると入谷の鬼子母神にある碑に関しての内容であったので、シンクロニシティを感じてしまった。
 なんと読むか。それは置いておいて「恐れ入り谷の鬼子母神」を知っている、知らないで話題にしておいて、入谷の鬼子母神に入っていないことに気が付いた。それで行ってみようとしたのが、第307号 亀戸天神とどら焼き の巻 である。考えてみたら、朝顔市の時期だからコラムでも取りあげたわけだ。
 その後、気になって場所を確認したりした際に「きしぼじん」と打ち込んでいたのだが、「恐れ入谷の~」の読みは「きしもじん」が正解らしい。
 雑司ヶ谷にも鬼子母神があるが、東京さくらトラム(都電荒川線)の鬼子母神前という停留場は「きしぼじん」と読み、お寺の雑司ヶ谷鬼子母神堂は「きしもじん」と読む。
 曹洞宗関東管区教化センターの資料をの中に、「読み方について、母の音読みは、通常「ぼ」となりますので鬼子母神を『きしぼじん』と読むことがあるかと思います。間違いではないのですが、仏教では、母の字を『も』と音読みしますので、今回は「きしもじん」で統一します。」という記述があった。
 つまり、「も」という音読みは呉音である。「行」という字を「あん」と読む(行脚、行灯)のも呉音の読みである。呉音は仏教用語とともに伝わったわけで、「きしもじん」と読むべきなのだろう。「きしぼじん」は慣用的な読みである。
 で、話は長くなってしまったが、 第314号 湯島天神とどら焼きからの豆大福 の巻 の帰りに2024.08.10入谷鬼子母神入谷の真源寺に寄ってみた。
 看板を見ると「鬼」の字の上の「ツノ」がない異体字だ。改心したり仏に帰依した鬼はこの字を使うらしい。
 読みからしていい加減だったのに、若い人は「恐れ入谷の鬼子母神」を知らない、なんて言っていたのは何とも恥ずかしい。
    

     第314号 湯島天神とどら焼きからの豆大福 の巻 
       2024年08月16日
  第307号 亀戸天神とどら焼き の巻 
  2024年07月14日