寒くなってきた。
画像は、先週11月24日の職場から見えるケヤキ。
4月13日の画像と比べてみてください。こちら→第53号 新緑とある訃報と の巻
この木を見ていて、高村光太郎の『冬が来た』という詩を思い出した。

画像は、先週11月24日の職場から見えるケヤキ。
4月13日の画像と比べてみてください。こちら→第53号 新緑とある訃報と の巻
この木を見ていて、高村光太郎の『冬が来た』という詩を思い出した。
冬が来た
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
そう、「箒になった」という表現を思い出したのだが、「箒になった」のは欅ではなく、イチョウだったのですね。イチョウの葉が落ちてホウキのように見えるかな、とちょっと疑問に思った。ケヤキの方が良いのじゃないかと。
文句をつけても仕方がない。この詩を検索するとNHKの高校講座の現代文で扱われているのにぶつかった。「箒になった」は隠喩。「冬よ 僕に来い」は擬人法。「刃物のような」は明喩。というふうに教えやすいからだろうか。この詩は『道程』に収められていて1914年に発刊されている。今から108年前、大正三年。口語自由詩として新鮮で、読者の心を揺さぶっただろう。
寒い、寒い、と言っていても暖かくなるわけではなし、来るなら来てみろ、別に平気だよ。というより、みんなの嫌がるものは俺のエネルギーだ、と言っているのがすごい。
ところで今月の22日は二十四節気で「小雪」、20番目だ。このあと、大雪、冬至、小寒、大寒ときて、立春に戻る。
冬の寒さは好きではないが、ドタバタと忙しくしているうちに、きっと「ああ、もう立春か。」なんて言っているんじゃあるまいか、なんて受け流しているようなのが最近の自分だ。エモーショナルのかけらもないね。
そう、「箒になった」という表現を思い出したのだが、「箒になった」のは欅ではなく、イチョウだったのですね。イチョウの葉が落ちてホウキのように見えるかな、とちょっと疑問に思った。ケヤキの方が良いのじゃないかと。
文句をつけても仕方がない。この詩を検索するとNHKの高校講座の現代文で扱われているのにぶつかった。「箒になった」は隠喩。「冬よ 僕に来い」は擬人法。「刃物のような」は明喩。というふうに教えやすいからだろうか。この詩は『道程』に収められていて1914年に発刊されている。今から108年前、大正三年。口語自由詩として新鮮で、読者の心を揺さぶっただろう。
寒い、寒い、と言っていても暖かくなるわけではなし、来るなら来てみろ、別に平気だよ。というより、みんなの嫌がるものは俺のエネルギーだ、と言っているのがすごい。
ところで今月の22日は二十四節気で「小雪」、20番目だ。このあと、大雪、冬至、小寒、大寒ときて、立春に戻る。
冬の寒さは好きではないが、ドタバタと忙しくしているうちに、きっと「ああ、もう立春か。」なんて言っているんじゃあるまいか、なんて受け流しているようなのが最近の自分だ。エモーショナルのかけらもないね。
コメント