昨日は同僚の結婚式があり、しかも披露宴の始まるまでの時間BGM的に三重奏することになっていた。それで楽器を持って楽譜や譜面台、礼服など忘れ物はないか確認して妻に駅まで送ってもらった。リュック状になっている楽譜や譜面を入れたバッグを背負い、右肩にチェロの入ったハードケースのストラップを載せネックを抱え、左手に衣装ケースを持って改札に向かったときにマスクを忘れたのに気づいた。
 楽譜を入れたバッグの中にあるかもしれないと思い、ホームに行ってごそごそ探していると、電車が来た。乗り込んで更に探すが、右手に楽器を抱えていてどうにも探しにくい。どうやらないようだ。
 電車に乗っているとちょっとしたトンネルがある。外が暗くなり、ガラス窓に車内の自分の顔が写った。マスクをしていない自分。車内の他の乗客はマスクをしている。短い時間だったが、そこで違和感を感じた。
 最近『鹿男あをによし』という小説を読んだ。主人公の「おれ」は、あることから顔を鹿に変えられてしまう。鏡を見ると自分が鹿になってしまっているのが見えるのだが、他の人からは見えない。小説の中でもふとガラスに映っている自分の鹿になっている顔を見てあれこれ悩む場面が何度も出てくる。電車の窓ガラスに写った自分の顔を見て何だかハッとし、『鹿男あをによし』を思い出した。
 結局乗り換えの駅のホームのベンチでバッグの中を再度見たが以前買ったマスクの空の袋だけが見つかった。仕方なくコンビニで購入して会場に向かった。
 暑い中、一人で荷物抱えて歩くのにマスクをしていなくても悪いことではない。電車内でも一人だししゃべっているわけでもないのだから、特別悪いことをしているわけでもない。冷静に車内を見渡すと自分以外では一人か二人だった。こうまでなってしまった今のこのような状況が変わるのは容易ではないかもしれない。みんなが自分の頭で考えなければ変わらないだろう。
2022.08.28いったんメモ さて、少し肩の力が抜ける話題を。この画像は少し前に別の同僚からいただいた一枚の一筆箋。
一反木綿ならぬ「いったんメモ」。これは面白い。自分の中ではヒットだ。しかし、ゲゲゲの鬼太郎を知らない人は何が面白いのかわからないだろう。親父ギャグ(いま打っていて変換が「おや自虐」となってびっくりした。濁点を打ち忘れたのですね。私は日本語を打っているときは仮名入力なのです)というのは、他の人も知っているだろうことと関係した駄洒落が多い。共通の知識とか連想などが前提になっているのだ。だから年齢の近い人だけ笑って、若い者はしらけているといった状況になりがちだ。
 今は情報というものがあふれている上に、年齢だけでなく趣味によって偏っている。20世紀までは情報や知識が、今に比べれば、割と均質的だったように思う。だから自分などは、年配の方が笑っていて自分が笑えないと「自分はものをまだまだ知らないなあ」なんて思って、どうでもいいことまで知ろうとしていたように思う。
 さてさて、同僚はこれを、ところざわサクラタウンだか角川武蔵野ミュージアムのショップでみて思わず衝動的に買ったと言っていた。ちなみにこの二つの施設、興味はあるのだが違いというか関係がよくわからない。行ってみればいいと思い、いくらくらいかかるのかサイトで調べると入場料金が何種類もあってよくわからない。
 話を「いったんメモ」に戻す。アマゾンで検索してみたら、これは一筆箋ではなく、メモ帳だった。ネーミングがいったんメモだからな。しかも何だかプレミアがついている。この一枚、しかるべきときに有効活用したい。