cycling、cello、curry、coffee、と"c"がつく話題が多い(そうでもない?)が、今日は中国語"Chinese"の話題。と言っても、専門的な話ではなく興味を深めてもらえたら、といった内容なので気楽に読んでください。
中国語で、「大学を受ける」は“考大学”。「どこの大学受けるの?」は“你考什么大学?”。
「受かる」になると、動詞の“考”に方向補語の“上”をつけて“考上”となる。方向補語の派生意義というやつで、元々方向補語の“上”は上に上がるという意味を加える働きがあるのだが、固定や物事の実現といったような意味もある。
少し前、中国語ネーティブの方と話していて、検定何級に受かったと言うときに“考上了四级"を使ったら、"考过“を使うべきだと言われた。検定などのある基準を通過した場合は、“过”だというわけだ。“过”も方向補語の一つで、どこかを過ぎるなどの動く方向性のニュアンスを伝える。言われてみて「なるほど」なのだが、こういったことはなかなかテキストなどでは出てこない。何かで出くわしたときにも「ふーん、こうとも言うんだ」ととりあえず納得したつもりになっておくだけでは、理解は使えるようにはならない。多少違った言い方をしていても「優しいネーティブ」だと「頑張ってしゃべっている日本人」に細かい指摘はしないだろう。語学を勉強していると、あるレベルに達した後、更にレベルアップする難しさを感じることはたびたびだ。
大分前に手にしていたのだが、最近ようやく最後のページにたどり着いた本がこちら。
一通り勉強した人にお勧め。
中国語で、「大学を受ける」は“考大学”。「どこの大学受けるの?」は“你考什么大学?”。
「受かる」になると、動詞の“考”に方向補語の“上”をつけて“考上”となる。方向補語の派生意義というやつで、元々方向補語の“上”は上に上がるという意味を加える働きがあるのだが、固定や物事の実現といったような意味もある。
少し前、中国語ネーティブの方と話していて、検定何級に受かったと言うときに“考上了四级"を使ったら、"考过“を使うべきだと言われた。検定などのある基準を通過した場合は、“过”だというわけだ。“过”も方向補語の一つで、どこかを過ぎるなどの動く方向性のニュアンスを伝える。言われてみて「なるほど」なのだが、こういったことはなかなかテキストなどでは出てこない。何かで出くわしたときにも「ふーん、こうとも言うんだ」ととりあえず納得したつもりになっておくだけでは、理解は使えるようにはならない。多少違った言い方をしていても「優しいネーティブ」だと「頑張ってしゃべっている日本人」に細かい指摘はしないだろう。語学を勉強していると、あるレベルに達した後、更にレベルアップする難しさを感じることはたびたびだ。
大分前に手にしていたのだが、最近ようやく最後のページにたどり着いた本がこちら。
李 軼倫
白水社
2019-02-09
まだまだ中国語の通訳など覚束なかった頃、通訳しなければならない場にいて、日本人側がかるく中国の方に向かって「ゆっくりしていって」と言ってまごついてしまった。早く訳せよ、とこちらを見られて余計に焦ったりしていた。「楽しい滞在になりますように」と言えば良いのだが、慣れないと「性格に伝えないと」とばかり考えてしまう。
言うまでもなく日本語にも多義性があり、どういう場面で使われているかで意味も違ってくる。辞書にない意味もあるだろう。本書にもある「ぼちぼち」だってそうだ。「まあまあ」の意味で良いかなと思っても、中国語では“还行”と“马马虎虎”ではニュアンスがどうちがうのか不安だ。
本書は、何気ない日本語をどんな中国語表現にしたら適切かをわかりやすく説明してくれている。「(カレーが)南はさらっとしていてお米に合うんですよ」とか、「あんな奴らを相手にすんの、ばかばかしいだろ」など、読んで納得だ。自分が使いこなすのは難しいが。
特に最後の章では、「店内商品以外のお持ち込みによる飲食はご遠慮ください」や「危ないので白線の内側に下がってお待ちください。」、「たっぷりのサイズで、ゆったりくつろぐ」のような客に対する注意、アナウンスの放送の表現、宣伝コピーなどが挙げられている。これはやはり中国からのインバウンドの増加によりこれらの表現の必要性が増したためだろう。
読み終わるまで長い時間をかけた、と書いたが、難しいと言うことではなく、「こういう表現を身につけておきたいなあ」と思う箇所が多く、さあっと読み終えるのが惜しかったのだ。付箋を挟んでメモったりしていてわざと時間をかけたのだが、残念ながら身についてはいない。でもこういうことで楽しみながらやっていかないと勉強はできないのだ。アマゾンのレビューを見たら同じようなことを書いている人がいて、やっぱり同じように思っている人はいるのだなと思った。
筆者の李軼倫先生はちょっとしたことで何度かお目にかかったことがあるが、とても気さくなにこやかな方だ。読んでいる最中にそんな人柄も感じられた。
まだまだ中国語の通訳など覚束なかった頃、通訳しなければならない場にいて、日本人側がかるく中国の方に向かって「ゆっくりしていって」と言ってまごついてしまった。早く訳せよ、とこちらを見られて余計に焦ったりしていた。「楽しい滞在になりますように」と言えば良いのだが、慣れないと「性格に伝えないと」とばかり考えてしまう。
言うまでもなく日本語にも多義性があり、どういう場面で使われているかで意味も違ってくる。辞書にない意味もあるだろう。本書にもある「ぼちぼち」だってそうだ。「まあまあ」の意味で良いかなと思っても、中国語では“还行”と“马马虎虎”ではニュアンスがどうちがうのか不安だ。
本書は、何気ない日本語をどんな中国語表現にしたら適切かをわかりやすく説明してくれている。「(カレーが)南はさらっとしていてお米に合うんですよ」とか、「あんな奴らを相手にすんの、ばかばかしいだろ」など、読んで納得だ。自分が使いこなすのは難しいが。
特に最後の章では、「店内商品以外のお持ち込みによる飲食はご遠慮ください」や「危ないので白線の内側に下がってお待ちください。」、「たっぷりのサイズで、ゆったりくつろぐ」のような客に対する注意、アナウンスの放送の表現、宣伝コピーなどが挙げられている。これはやはり中国からのインバウンドの増加によりこれらの表現の必要性が増したためだろう。
読み終わるまで長い時間をかけた、と書いたが、難しいと言うことではなく、「こういう表現を身につけておきたいなあ」と思う箇所が多く、さあっと読み終えるのが惜しかったのだ。付箋を挟んでメモったりしていてわざと時間をかけたのだが、残念ながら身についてはいない。でもこういうことで楽しみながらやっていかないと勉強はできないのだ。アマゾンのレビューを見たら同じようなことを書いている人がいて、やっぱり同じように思っている人はいるのだなと思った。
筆者の李軼倫先生はちょっとしたことで何度かお目にかかったことがあるが、とても気さくなにこやかな方だ。読んでいる最中にそんな人柄も感じられた。

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